気まぐれ日記 2012年3月

2012年2月はここ

3月1日(木)「ほぼ徹夜明け・・・の風さん」
 執筆しているうちに夜が明けてしまった。
 しかし、このままでは1日もたないので、1時間ほど仮眠してから本社へ向かった。
 途中で某美術館に寄って、知人が出品している陶芸展を覗いたら、本人がいた!
 いつものことながら、形も色もすばらしい。
 陶芸展そのもののレベルも高く、日本の文化の高さと広さを感じる。こういう国に生まれたからこそ、私も創作の真似事ができるのだ。
 本社で、昨年末北米出向から帰国した同僚に会い、北米のモノづくりの実態を聞いた。
 日本のすばらしいモノづくりDNAを世界へ、などという美しいセリフしか聞いていない私の小さな頭脳はそれで洗脳されている。
 しかし、実態は、ローカルのビジネス文化の中で、あらゆるオペレーションがされているのだ。それを知らなかった。郷に入っては郷に従え、という側面が強烈にあるのだ。
 旧職場に移動して、会議に出席した。
 ここでも大きなモノづくり戦略の話が出て、久しぶりに感動した。老兵が出る幕ではないので、ぜひ後輩たちに頑張ってもらいたいと思った。
 いくらか日が長くなってきたが、退社時はまだミッシェルのライトを点灯しなければならない。
 前を走るクルマについて行ったが、何となく違和感があった。
 ミッシェルの左のヘッドランプが切れていた。
 これまで左右とも交換しているので、3個目の交換である。
 貧乏人にはどこまでも不運がつきまとう。
 眠かったが、夜は、「星空トーク」の朗読原稿の続きをやった。

3月2日(金)「せこいぜ・・・の風さん」
 小雨がぱらつく中、研修所へ出社。
 午前中は、15日のフォーラムの資料を整理して、事務局へ送付した。
 問題は私の無知と経験不足である。あ、フォーラムのことではない、フォーラムのテーマである。テーマは「日本製造業のグローバル展開と国内ものづくりのあり方」。パネラーとして、というより自動車産業の代表として発言できるかどうか、直前までの私の勉強にかかっている。
 午後もあれこれと雑務の積み木崩しをやった。
 仕事というのは、多くの環境整備や雑務の片付けをした後に、正味の仕事をするものである。
 修理屋にミッシェルのライトの交換を頼んだら、明日できるというビックリ回答だったので、お願いすることにした。
 ミッシェルのガソリンタンクはそろそろ乏しくなっている。
 来週にかけてミッシェルの給油のタイミングなどを考えると、今夜プリカに残っている分をセルフで入れておく必要があるという結論になった。
 退社時にGSに寄って、1000円だけ給油した。7リットルちょっとである。せこい!
 しかしこれも、環境整備と雑務の片付けの一環ではある。

3月3日(土)「昔は女の子のお祭り・・・の風さん」
 早起きしてミッシェルと電車で名古屋へ。
 大学の図書館でビジネス書を借りた。非常勤講師の身分なので、貸し出し期間が長く、延長手続きもネットでできるのでとても便利である。
 ランチ後、とってかえして、ミッシェルで修理屋へ。
 ついでにオイルとエレメントを交換してもらうことにして、その間に代車で理容店へ。
 再び戻ってきたときには、ミッシェルは、洗車してワックスまでかけてもらっていた。
 帰りにガソリンスタンドに寄って、結局、満タン給油した。
 昨夜の7リットルは不要だったかも。
 3月3日はひな祭り。女の子のお祭りだ。しかしこれは、昔の人間のセリフ。
 現代は、その女の子がすごい。
 15歳のスキージャンパー、高梨沙羅である。
 ずっと2位が続いていたのが、地元日本での初めてのワールドカップということで、非常に意識していたという。それでも、それが妙なプレッシャーになることなく、むしろ若いに似合わず、自覚にまで昇華した感じで、見事初優勝。
 ジャンプのワールドカップ史上でも最年少とのこと。
 初めて尽くしの優勝となった。
 今や、年がら年中女子のお祭りのような気がする。
 しっかりしろ、男ども!

3月4日(日)「ようやく復活?・・・の風さん」
 今日は朝から気力が充実していた。
 そのせいでもないが、今年は遅れ気味の庭の梅が五分咲きぐらいになっている。
 木蓮も大きなつぼみが天に向かっていくつも伸びている。
 空はどんよりしていて、午後、いつ雨が降り出すかわからなかったので、久しぶりに屋外タンクに灯油をたっぷり給油した。
 執筆マシンに向かって、全力疾走だった。
 夕方までにノンフィクション原稿の一部を改訂して出版社へ送付した。
 午前零時までに、星空トークの朗読原稿をスリム化して、大阪市立科学館の学芸員の方へ送付した。
 ここで寝てしまったのでは男がすたる、とばかりに、もうひと踏ん張りして、掌編小説の原稿バージョン2を作成して、出版社へ送付した。
 ビジネススクールで疲労困憊し、さらに擬似インフルエンザで死にそうになった私だったが、もしかすると、元に戻ったかもしれない。

3月5日(月)「次第に頑張れる体に・・・の風さん」
 冷たい雨が降っている。
 今朝は3時間半の睡眠でT製作所へ出社。会議後、本社へ。
 昼前に一橋大学イノベーション研究センターの先生と駅で落ち合い、ランチ後、トヨタグループの会社を訪問。約2時間のインタビューを実施。予定外だったが、タイでの生産の話を聞けたのは幸運だった。
 徒歩で本社へ行き、そこでも1時間半のインタビューを実施。
 もとは一橋大学イノベーション研究センターからの依頼で生じた仕事だが、だいぶ関与が深くなり、自分としても専門性を深めたくなったため、今日は、会社の仕事を離れてもお付き合いを続けたいと打ち明けた。
 帰りに灯油を購入して帰ったが、イラン情勢の影響で原油価格が上昇している影響が、末端の価格へも波及してきた。
 今夜は掌編小説のバージョン3と、星空トークの朗読原稿の17枚への短縮に取り組んだ。

3月6日(火)「ICカード定期券の不安・・・の風さん」
 出社時、S社へ送るレターパックを郵便局で投函した。昨夜準備したものである。
 来週、学会などで上京するので、出張申請を出した。スケジュール的には今日出しておかないと時間的に苦しかったのだ。
 帰りに、最寄りの名鉄の駅に行った。ICカードの定期券で問題なく改札を通れるか確認するためだった。
 実は、土曜日に某無人駅の改札口を出るとき、定期券の確認よりも、体が先に改札を通ってしまったらしく、エラーになった。改札口の外からやり直したが、うまく行くはずもない。インターホンは改札口の中なので、入る時が厄介な気がして、時間的余裕がなかったこともあり、その日はそのままにしたあったのだ。
 ICカードなので、チップの中にエラーの元情報が書き込まれいる恐れがある。それで確認したのだ。
 結論は、何の問題もなく、改札を通って中へ入り、すぐに出てくることもできた。
 不思議だが、使えるのなら、このままにしておこう。
 今夜も星空トークの朗読原稿短縮に挑み、16枚にした。
 就寝前に、書籍購入レシートの集計をした。迫ってきた確定申告のためである。
 昨年は貧乏だったので(実は今年も)、購入額は少なかった。

3月7日(水)「パネラー準備もラストスパート・・・の風さん」
 来週の木曜日に精密工学会春季大会の併設行事、ニューテクノフォーラムでパネラーを担当する。今回のテーマは「日本製造業のグローバル展開と日本ものづくりのあり方」である。個人的には非常に興味のあるテーマだ。しかし、パネラーとして、つまり業界の代表として発言する資格には大いに不足している。むしろ聴講したいくらいだった。
 とはいえ、何事も前向きにチャレンジするのが私の本分なので、上司(副社長)からの指示もあったが、全力で取り組むことにした。
 それで、連日のように準備を続けている。
 先ず、海外赴任経験者から拠点でのモノづくりの実態を聞いている。また、関連する記事や論文を、社内外関係なく収集している。海外モノづくりに関係するセミナーを受講している。グローバル時代のMOT関連本2冊(いずれも社会人入学時代に購入して未読だったもの)を読破することにした。
 今日は、イタリア赴任経験のある人から話を聞いた。イタリアへは観光で3回くらい行ったことがあるが、モノづくりにおける激しい文化の違いに驚いた。ともかく、これで、社内聞き取りは通算4人目となった。
 いつものように帰宅後、どっと疲労が出てダウン。
 その前に、星空トークの朗読原稿が、まだ長過ぎることを知った。

3月8日(木)「ハガキ随想・・・の風さん」
 今朝の3時にゾンビのようによみがえって、レシートのある出費記録のエクセル入力を開始した。
 これだけでも最後(つまり昨年12月31日の分)まで終わらせようとしたが、時間切れとなった。
 確定申告、提出期限に間に合うだろうか。
 旧職場へミッシェルで出社して、マレーシア赴任経験のある先輩から、現地でのモノづくりの実態をうかがった。いきなり人種問題から始まり(マレー人とインド人と中国人が3大要素)、昨日に続いて、衝撃を受けた。
 グローバル展開は、日本にいて初めての製品に取り組むのと次元が違う問題が待ち構えている。それが文化の問題。
 昼食後、電車で名古屋へ。
 アセアン地区でのモノづくりを前提にしたIT製品のセミナーを聴講した。
 講演のほとんどがIT製品の紹介ではなく、アセアン地区でのモノづくりの特徴の説明に割かれたので、大いに勉強になった。
 帰宅したら日本推理作家協会会報3月号が届いていた。
 早速開封して読んでみると、私の近況「決して異常なんかじゃない」が掲載されていた。
 昨年末、福島から帰宅して、精神状態が不安定なときに書いた「ハガキ随想」だが、当時の気持ちを正直に書いた、書かねばならなかったものである。
 星空トークの朗読原稿を15枚に短縮して送付した。元の小説原稿から抜き出したとき25枚だったものを、15枚まで短縮したのだ。

3月9日(金)「まだ安心できない週末・・・の風さん」
 昨夜の睡眠時間は4時間半。けっこう寝れたと言えるか。
 小雨のぱらつく中、研修所へ出社し、会議の合間に、グローバル時代のMOTの本の2冊目を読了。
 午後は本社へ出張。同僚からグローバル対応の社内情報の解説を聞き、来週の出張のためのチケットを受け取って退社。
 帰りにミッシェルに満タン給油したが、ガソリン代が高騰している。不安定な時代に生きていると、精神が落ち着かない。うつ病に人が増えるのももっともか。
 4月からビジネススクールの新年度が始まる。最初の科目登録をした。
 今夜は、確定申告の書類を完成するまで寝ないと決めた。この仕事は重い。

3月10日(土)「歩く水道屋・・・の風さん」
 確定申告の書類が完成したのは、午前5時だった。
 それから2時間ほど仮眠して、来週のツアー開始までのラストスパートとなる週末が始まった。
 目覚めていきなりワイフから「2階のトイレが水漏れするから、何とかして」と言われた。
 歩く辞書であり、歩く電気屋でもある私は、今度は歩く水道屋にならねばならない。
 朝食後、完成した確定申告書類を投函するため、ミッシェルで郵便局へ行ってきた。
 その後、電車で名古屋へ。
 ビジネススクールの大中先生のご講演があるので、伏見キャンパスまで行った。
 21世紀のMBA教育を語り、我々受講生の意識を大きく変える内容だった。
 ずばり、21世紀のビジネススクールの使命は、江戸時代の藩校や私塾に匹敵する。
 受講生は、自分のためではなく(ましてお金や会社の業績のためではなく)、世の中や他人のために何をなすべきかを学ぶのである。
 終了後、歩いて愛知県図書館へ行き、ランチをとり、資料調査をした。
 帰宅したら、楠木誠一郎さんの本が2冊届いていた!
 講談社文庫『火除け地蔵』と、得意のタイムスリップもので同じく講談社の『モーツァルト毒殺!?』である。
 私も多作、量産を、と思っているが、情けないことに足元にも及ばない。
 しかし、それでも決してあきらめない。愚かな私である。
 就寝前にネットで水洗トイレの水漏れ対策を検索すると、うまい具合にヒットした。
 水漏れ個所の特定については、推奨ステップが紹介されていたが、今朝、その通りにやったことが再確認できた。
 若い水道屋は勉強してスキルを身につけるのだろうが、私のような老兵は、会社で問題対策を死ぬほどやってきた。
 特にモノづくりにおける問題対策の経験は、水洗トイレの水漏れ個所の発見にもちゃんと応用できるのだ。
 水漏れ発生部位は、ゴムフロートと排水口の接触部分だった。
 ネットでほしかったのは、最後の対策で、ゴムフロートの交換が一般的だった。

3月11日(日)「黙とう・・・の風さん」
 目が覚めたら正午をかなり回っていた。
 ほとんど仮死状態で熟睡していたらしい。
 起床したときには、名古屋ウィメンズマラソンも終了していた。野口みずきが感動的な走りの復活を見せてくれたが、ブランクが大きかったのだろう、五輪代表は絶望的となった。
 ブランチ後、歩く水道屋に変身して、ゴムフロートを買ってきて、タンクに装着した。
 水圧がかかると、しっかりシールできることを確認した。
 続けて、屋外のタンクに灯油を給油。まだまだ寒波が来そうな今週、私はほとんど家にいないが、暖房の不安はない。
 やっと書斎に戻って、作家としての仕事を始めようとしたら、運命の2時46分を過ぎていた。
 執筆マシンの前で黙とうした。
 またしばらく気まぐれ日記の更新は止まるが、それは鳴海風が奮闘している証拠である。 

3月12日(月)「慌ただしい出発の日・・・の風さん」
 目が覚めたら雪が降っていた。夢ではない。まぼろしでもない。現実の世界だった。
 ミッシェルのタイヤが丸坊主なので、これはちょっと危険だったが、超慎重運転で出発した。今日のスケジュールはタイトだ。
 研修所での午前中は、もう無我夢中状態だった。やらねばならないことが山のようにあって、なおタイムリミットもあったからだ。
 昼食もあっという間に終え、それでもちゃんと歯は磨いてから、ミッシェルで出張に出発した。
 久しぶりの行先は、豊田中央研究所である。
 雪はやんでいたが、冷たい風が激しく吹いていた。
 今日は人生の先達ともいうべき人の講演を拝聴したのだが、なかなか重厚な人生で感銘を受けた。
 有料道路を使って帰宅してからも、超せわしかった。なぜなら、今夜から東京へ出張するからだ。
 ワイフの協力も得ながら夢中で準備し、カレーライスをかっこんで家を出た。
 電車内でも新幹線の中でも爆睡することなく、文庫を読めたのは奇跡だった。
 コンビニで翌朝のパンと寝酒のビールを買って、定宿にチェックインしたのは午後11時過ぎだった。

3月13日(火)「日本機械学会生産システム部門・・・の風さん」
 今日は武蔵大学で日本機械学会生産システム部門の研究発表講演会がある。
 客員研究員をしている日大工学部SSLの学生の発表が朝一番からあったので、早々と最寄りの駅に着いたのだが、肝心のキャンパスとは反対の方向へ歩いて行ってしまい、たどり着くのに30分以上かかってしまった。
 SSLの学生の発表はなかなかしっかりしたもので、指導がよくされていることがわかった。知り合いの先生の発表も途中で聴講した。
 昼食は、SSLの教授以下のメンバーと会社の元部下と私の総勢8人で、正門前の掘立小屋のような食堂で摂った。
 メニューは、芋煮定食か芋煮カレーのどちらかで、値段はどちらも500円だった。私は定食にしたのだが、卵かけご飯としょうゆ味の芋煮だけという、前時代的内容だった。
 午後もSSLのメンバーの発表を聞いた。聞きながら、来年は私も発表したいと思うようになった。恐れを知らぬ困った性格である。
 研究発表が一段落したところで、私は今夜の宿にチェックインするため、いったんキャンパスから脱出した。
 そこは神楽坂にあるS社クラブという、出版社が作家を缶詰にして執筆させる宿泊施設である。
 作家が言い訳できないように至れり尽くせりになっている。
 往復2時間以上かけて、再び武蔵大学キャンパスに戻ってきた。
 今日、最後のイベントは、懇親会を兼ねた生産システム部門の表彰式だった。
 私にはもったいないことだが、学術業績賞(論文賞のこと)を受賞することができたのである。
 予想もしていなかったのだが、立派な盾まで頂戴した。日本語の賞状と違って、盾はすべて英語だった。賞状は君付けなのに対し、盾はDr.で始まっていて、よけい嬉しかった。
 お世話になった先生方へ、持参の文庫をプレゼントしつつ感謝の言葉を伝えた。
 作家であることを明かしても、これからも生産システム部門で活躍してほしいと言われてしまった。
 
3月14日(水)「宿泊所初体験の1日・・・の風さん」
 8時に和食の朝食を用意してもらい、パジャマ代わりのトレーナー姿のままロビーでいただいた。
 旅館で出てくる和朝食と少し違うのは、家庭的な雰囲気があることと、1人しかいない滞在客にカスタマイズしたサービスが盛り込まれていることだ。
 湯葉なんかも使っていて、非常に良い味だったし、味噌汁に入っているアサリはバラバラになっていないくせに、身はちゃんと殻からはずれていた。
 極め付きはご飯で、おかゆのように柔らかかったので、「まるで母が作るご飯みたいです」と言ったら、「お疲れのようでしたから、柔らかめにしました」という説明だった。
 満足して部屋に戻り、編集者が来るまで、提案原稿に目を通した。
 さすが、作者視点でなく、読者視点で書き直されていて、「そうか。こういう風に改訂しなければいけないのか」と納得した。
 2本ある原稿のうち1本の確認が終わったところで、編集者がやってきたので、正直に「恐れ入りました」と脱帽。
 この宿泊所には、名立たる作家がたくさん利用してきたという歴史がある。
 それらを聞いていると、著名作家でもちゃっかり作家がいて、なんだそれじゃ無銭飲食と一緒じゃん、と思ったが、とりあえず笑ってごまかした。私もそれに近い恐れありなので。
 続いて、文庫部門の部長さんがやってきて、四方山話のあと、文庫出版の条件などを聞いたが、やはり他の出版社とほぼ同じで、とても厳しいことがわかった。
 昼食は、昨夜目をつけていた近くのラーメン屋まで行き、帰ってきてから、もう1本の提案原稿をつぶさに確認した。
 これも納得。
 再び編集者と打ち合わせ、提案原稿の形で改訂していくことを再度確認し合った。
 編集者が帰った後、疲れたので掘り炬燵に足をつっこんだまましばらく横になっていた。
 夕方から、出かけた。
 今夜は都内某所で作家として講演するのである。
 最近よくやっている時計技術を題材にした内容で、聴講者がほとんど技術者だったので、歓迎されたようだ。持参した拙著7冊が完売した。
 面白かったのは、講演後、「今日は何の日か分かる人?」と言って手を上げてもらったら、最初の回答が「ホワイトデー」だったので、脱力した。しかし、2番目の回答は、期待通り「円周率の日」と正解で、うれしかった。
 実は、今回の講演の真っ最中に地震があったらしいが、全く気が付かなかった。
 神楽坂まで戻ってきて、ファミレスで遅い夕食を摂ろうとしていたら、私のを含めて付近の客のケータイがギュッギュッと鳴り出した。緊急地震速報である。すぐに大きな揺れがやってきた。ウェイトレスは平気で料理を運んでいたが、揺れは大きかった。
 宿泊所に戻ると、二人目の客がチェックインし、外出中だったが、女性とのことだったので、先に風呂に入ることにした。
 明日は朝が早いので、さっさと寝ることにした。

3月15日(木)「東京地震男?・・・の風さん」
 昨日より1時間早い7時朝食にしてもらった。
 そして、今朝は既にスーツ姿寸前である。
 食事は洋食で、何も言わなくても管理人のおばさんは私がブラックコーヒーしか飲まないことを知って、砂糖もフレッシュもついていない。
 私が急いでかっ込んでいると「そんなに慌てないで、適当にして、もう出発したらどうですか」とまるで母親のようにたしなめてくる。
 確かに、今日の目的地までは1時間以上かかるから、もたもたしてはいけないのだ。
 しかし、まるで戦前生まれのような考え方の私は、残さず食べようと頑張るのである。
 お世話になった管理人のおばさんにお礼を言いつつ、出発した。
 八王子に近い、首都大学に着いたのは、それから1時間以上後だった。
 精密工学会春季大会の併設行事のパネルディスカッションで、パネラーとしてミニ講演したり発言したりしたが、テーマが重く難しくて、力不足の私はあまり貢献できなかったと思う。
 昼食を兼ねた懇親会にも参加したが、あまりたくさん食べることができないまま、家路につくことになった。
 帰りに品川のオキュルスに寄って、文化交流やら某社の編集者との打ち合わせやらして、ようやく本当に家路についた。
 新幹線と名鉄を乗り継いで、帰宅したのは午後9時過ぎである。
 3泊4日の旅だったので、さすがに疲れた。
 いつも東京では雨に降られることが多いが、地震に遭ったことが強く印象に残った。
 東日本大震災に限らず、ケータイの緊急地震速報は東京でよく鳴る。
 しばらく東京雨男は返上して、東京地震男でいくか……あ〜、やだやだ。

3月16日(金)「急性方向音痴?・・・の風さん」
 前日までの疲れも癒えぬまま、今日は名古屋へ出張した。
 緊密に連携している日本能率協会中部支部主催の、生産技術研究部会である。今日は第22期の最終報告会だった。
 会場はここ数年よく使われている場所で、名古屋駅から歩いてそれほど遠くはない。
 しかし、過去、地図を持参しても迷うような不思議なロケーションではあった。
 今日は地図を持参する余裕もなくて、「確かこっちの方角だった」という、勘に頼らざるをえなかった。
 結果、恐ろしいことに、迷いに迷った。さまよった。すぐ近くにありそうで、ない。ぐるぐる歩き回った。目的地のビルの正式名称を失念しているので、通行人に聞くこともできない。地図を見れば思い出せるかもしれないが、地上を歩いていると、不思議と地図表示がない。
 とうとうあるブロックを制覇してしまったので(偉そうに言えることではないが)、最初から除外していた別のブロックへ行くことにした。が、地上に横断歩道がなく、地下から行かざるを得なかった。
 地下にもぐって、そのブロックへ出ようとすると、その出口がどこへアクセスできるかビル名が書いてあって、その中に心当たりのある名称があった!
 それでようやく目的地にたどり着けたのだが、実に30分ぐらいの放浪の旅であった。
 会場には5分程度遅刻してしまった。
 最終報告会はかなりレベルの高いもので、メンバーには良い勉強になったと思う。
 夕方から打ち上げと懇親会があり、いつもの仲間と言いたい放題言い合って楽しかった。
 来るとき道に迷って苦労した話は、最後までしなかった。
 ボケの深刻な現象が出ていた可能性がある。

3月17日(土)「文章サークルの遠足・・・の風さん」
 念願の文章サークルの遠足に出かけた。
 もともと私の我がままで立ち上げた地元での文章サークルである。ベストセラー作家ではないので、講演活動を積極的にやっているのと同じ狙いで、少しでもシンパを作って、私の作品の意図や創作の意義、小説を書くことの素晴らしさを伝えたいのだ。
 遠足もその一環で、夕方からある大阪市立科学館での「星空トーク」鑑賞だけでなく、小説『星空に魅せられた男 間重富』の舞台を案内して、間重富という人物の存在をしっかり皆の脳裏に焼き付けたかった。
 私を含めて4人での遠足だったので、たとえば往復の新幹線などは修学旅行さながらの対面シートにして、トランプこそしなかったものの、おしゃべりしているうちにあっという間に着いてしまったほど、学生気分の旅だった。
 今日はあいにくの雨模様となったが、サークルのメンバーの中に、とびきりの晴れ女がいて、雨雲を蹴散らした。
 大阪では先ず歴史博物館に行ったのだが、常設展だと思った間重富コーナーがなくて、少しガッカリした。昼食は突然グルメツアーに変貌し、ガイドブックに載っている天王寺の某レストランに入った。午後1時になっていたのに、まだ待ち行列ができていて、待っている間にたこ焼きを買ってきて皆で食べたが、あまりの熱さに舌や唇を火傷する始末だった。
 やっと我々の番が来て、私だけレーベンブロイを飲んだが、火傷した舌にひどく沁みた。
 生國魂神社の算額、吉祥寺(義士寺)の四十七士像、浄春寺の麻田剛立の墓碑、統国寺(旧名は邦福寺)の間一族と平賀晋民の墓碑を見た後、地下鉄で移動した先で、ケーキセットで小休憩。
 大阪市立科学館での「星空トーク」は素晴らしかった。
 大阪の夜空を映し出したプラネタリウムも雰囲気が出ていたし、対談も本音でよかった。そして、何と言っても、私が用意した間重富の原稿の朗読が最高だった。語り口だけでなく、美声だったし、セリフの演技もすばらしかった。
 原作以上の作品に聞こえたに違いないと確信したので、最後に登場した私は、力いっぱい拙作を宣伝した。
 おかげで、科学館が用意した拙著30冊(サイン付き)が完売した。
 サプライズで登場した中川なをみさんの即席サイン会も好評で、彼女の『天游』も完売した。
 帰りの新幹線の時間が決まっていたので、タクシーで新大阪駅へ向かい、これだけは外せない蓬莱のぶた饅頭をしっかり買って家路についた。
 途中で何度も雨が降ってきたが、その間は、移動中の乗り物の中だったり、屋内だったりで、とうとう持参した傘を使う場面がなかった。恐るべき晴れ女!
 またサークルの遠足をやりたいが、問題は、次の小説だろう。はたしてどの作品が遠足実施に値するかだ。頑張らねば。

3月18日(日)「宵の明星か・・・の風さん」
 朝から雨である。しかも、まじめに降っている。我がサークルメンバー晴れ女の霊力をあらためて感じた。
 午前中に、地元の図書館へ行き、サークルメンバーのご機嫌伺いをしつつ、県図書で借りた本の遠隔地返却をした。これ
は便利。県図書のインターネットサービス登録もしたので、今後の活動に役立つだろう。
 DIYショップへも行って、日本機械学会からもらった賞状を入れる額を買った。平凡な額だが、まあ、自分が生きている間の
入れ物である(死んだら私と一緒に焼却の恐れ大)。
 それから、とうとうビジネススクールの2012年度前期学納金を借りる手続きをした。作家としての甲斐性がないため、こん
な羽目に……。後期へ向けて後がなくなる。崖っぷちというヤツだ。
 ワイフの提案で、セントレアまでホワイトデーのプレゼントの買い物に出掛けた。
 あまりにも多忙な私に対する、せめて会社の女性からもらったチョコレートにはお返しをしなさい、という強制執行である。
 久しぶりのセントレアだった。そこから海外はもとより国内へ旅立つわけでもないので、何となく気分は盛り上がらない。心な
しか客の数も少なめで、単なる散歩に近かった。
 目的の買い物はできたが、二人の娘の分も買ったので、散財になった。
 雨がようやく上がっていたので、デッキへ出てみると、宵の明星らしき星明りが、雲の合間に強くまたたいていた。
 控えめな夕食を摂って帰宅した。
 先週から今週にかけて、次女が合宿型の自動車学校に出かけていて不在である。そうでなくても、ほとんど自宅にいないの
で、あまり変わりはないのだが。

3月19日(月)「夢のまた夢・・・の風さん」
 会社へ行こうと腕時計を用意したら、なんと昨夜のうちに停止していた! ソーラー時計なので、半永久的に使えるかと思っ
ていたが、よく考えてみれば、それはあり得ない。太陽電池は電池でなく発電機である。充電電池かあるいはコンデンサーが
装備されていなければ、夜間や暗い場所では動かない。
 故障でなくて停止したとすると、充電電池の寿命がきたのだろう。
 プライベート用のGショックで出かけることにした。
 久しぶりの会社なので、やることは一杯あったが、成り行きから私の論文賞の報告にかなりの時間を割くことになってしまっ
た。
 しかし、報告をしてよかった。表彰してくれた生産システム部門は、亡くなられた故松本副社長らが作られたもので、その松
本さんが最初の部門長だった。私が所属している部の伝統を守った形になったことを知り、受賞よりも嬉しかった。
 それにしても、若いころ、まさか自分が定年間際になって、このように学会活動しているとは予想もできなかった。もっとも夢
見ていたのは、作家として大活躍している姿だったが。あれもこれも夢みたいなことが起こるなんて、それこそ夢だ。

3月20日(火)「のどかな春分の日・・・の風さん」
 昨夜用意した郵便物を通勤途上で投函してから出社。
 春分の日らしい平和な1日のスタートだ……が、油断は禁物。花粉の飛散がここしばらくピークが続く。今年は先ずマスクを手放さないこと(実は、マスクをしたまま夜も寝ている。寝室の花粉濃度は想像にお任せする)。次に、今日はヤバイと思ったら、出勤前に強力な薬を飲んでおく。それから、今年の特殊事情だが、目薬をだいたい3時間おきに点眼する。
 シャバは休みでも、出勤しているのだから、今日こそたまっている仕事を片付けようと思っていたら……だめ。会議で半日つぶれた。結局、空いている時間に、今後の詳細日程を作ったところまで。
 来月に入るとすぐビジネススクールが始まる。早めに予習に着手するのがポイントだと分かっているが、ケースブックが届くのは週末だとのこと。

3月21日(水)「怪しげな電話・・・の風さん」
 職場復帰3日目だが、昨日に続いて、あっという間に終わってしまった(定時後はなるべく会社の仕事をしない方針なので)。
 午前中は来客があり、午後から本社へ出張して2つの会議。その合間にアイドルタイムがあったが、昔の職場の片隅で恍惚の人になっていた。
 その後帰宅、と書きたいところだが、残念ながら研修所へ逆戻り。今夜は戸締り当番だ。みんなさっさと帰宅してくれれば超嬉しいのだが、私が戸締り当番のときに限って、残業している人が多い。8時半を過ぎてもまだ終わりそうもなかったので、できるだけの後始末をして、9時前に退社させていただいた。これじゃ戸締り当番の意味ないか。
 昨日、旧職場の同僚から「ちょっと怪しげな電話があった」という連絡があった。女性からで、名乗っていたが、会社関係でなく、私用だと言っていたそうだ。その時点で心当たりはない(本当だー!)。
 よくある勧誘のような、そうでないような。
 そのすぐ後、私のケータイにも着信記録が残っていた(私はほとんど不携帯状態)。番号が表示されていたので、ネットで検索してみたら、札幌である。よけい分からなくなった。昔付き合っていた札幌の女……ないない、そんな過去は断じてない!
 その不気味な電話の正体が、ぼんやりと明らかになってきた。
 学資ローンの会社のサービスセンターが札幌にあるのだ。本人確認の電話だった可能性がある。それなら、もうしばらく待ってみよう、ということにした。

3月22日(木)「航空機産業の将来・・・の風さん」
 すっかり春めいてきた今日は、まず、来月から始まる愛工大非常勤の仕事の準備をひとつした。
 続いて、出張である。
 中部地区は戦争中から航空機産業が盛んだった土地である。
 私が住んでいるところからそう遠くないところに中島飛行機があって、ゼロ戦を作っていた。
 最近の話題として、ボーイング787の機体の大部分が、東レが開発した炭素繊維でできているということがあるが、それは誇らしいここだ。新興国の発展は、中型や小型の旅客機の膨大な需要を生み出す。
 そして、三菱重工が国産のジェット旅客機MRJを作ったこともあり、これからの期待産業として、中部地区は経済特区として発展の可能性を秘めている。
 そんな背景の中、担当している仕事との接点を探るべく、JAXAのシンポジウムを聴講するため、名古屋へ出張した。
 しかし、結果は意外だった。我が国の航空機産業の前途はきわめて多難だという事実を突き付けられたからだ。
 そもそも航空機の技術は軍事技術と切っても切れない関係がある。つまり軍事費にお金をかけられる国が最も有利なのだ。ところが、日本は戦争に負けた(負けたのがいけないのではなく、戦争なんかしたのが悪いのだが)。敗戦国は再び軍事力をつけられないように、こういった技術の発展は抑制されてきた。現在も、だ。いや、これからもだろう。
 技術だけではない。航空機に関するさまざまな規則や標準も同じだ。戦勝国のアメリカに牛耳られている。
 優秀な技術が少しできてきたからといって、航空機産業に打って出て思い切り活躍できるほど世の中は甘くないのだ。
 加えて、日本は国家財政で1000兆円もの負債を抱えている。破たんしているといってよい。そんな国が、航空機技術の進歩のために莫大なお金は投入できない。少子高齢化もある。
 シンポジウムが終われば、外は夕闇に包まれている。帰るころには目の前がますます暗くなっていた。
 あと10年もすれば、身の回りにある電化製品はもとより、自動車なども国産品はほとんどなく、外国製ばかりかもしれない。
 こういう厳しい時期に、ビジネススクールに通い始めたのは良かった気がする。
 そうでなければ、産業や経済といった点で、退職が近い私は、ますます縁遠くなるばかりか、何も貢献できない存在になってしまう。しかし、少なくともしっかりした知識を身につけていれば、作家として鍛えた筆の力を使って、世の中に向かって何か主張できる、貢献できる可能性がある。

3月23日(金)「学資ローンも一段落・・・の風さん」
 昨日とうって変って空は重く曇って、小雨がぱらついている。
 それでも花粉症はひどく、目の縁が猛烈にかゆい。昨日買った点眼薬が手放せない。3時間おきに点眼する。そのたびに爽快感が気分を引き締める。
 元気なら仕事もできる。雑用もいやでなくなる。
 学資ローンの確認電話がその後もこないので、こちらから電話してみた。来週の月曜日が学納金の期限だ。
 やはり先日の電話はそれだった。「ビンゴ!」だった。しかしケータイではだめだそうで、今夜8時に自宅へかけてもらうことにした。
 帰りに買い物をすることにしていたので、8時までに帰宅するのは微妙だった。結局、大急ぎとなった。
 電話は8時過ぎにきた。
 今週末は執筆に専念する。もう時間がない。
 
3月24日(土)「原稿修正・・・の風さん」
 今日は朝から雨。例年より遅れているとはいってももうすぐ4月だ。庭の梅はすっかり盛りを過ぎて、モクレンが大きくふくらんできた。来週あたり満開かもしれない。
 一昨年来取り組んでいる原稿が、いよいよ大詰めを迎えている。小説ではないし、力仕事のノンフィクションなら連載でも経験したから何とかなるかと思っていたが、意外と手ごわかった(まだ終わってない終わってない)。
 とりあえず編集者のガイドにしたがって修正に取り組むことにした。
 ところが、ところが、である。せっかくガイドがしっかり出来ているのに、なぜかスピードが上がらない。
 なぜだろう。細部にこだわり過ぎ? そうかも。こりゃ性格だな。
 ガイドをもらっている2本のうちの1本をやっと仕上げた。

3月25日(日)「ゲラに間違いを発見・・・の風さん」
 今日は朝から快晴である。仕事がはかどるかも(なに、のんきなこと言っているんだ)。
 ワイフは、友達と一緒に長女の勤めるフランス料理の店でランチをとるため、朝から出かけている(本当に在宅率が低い)。
 いつものように留守番の私は、ひたすら執筆。
 昼食はインスタントの長崎ちゃんぽんだったが、麺がそれなりに太くて感心した。
 ホットタイムに来月発売される雑誌用に書いた掌編小説のゲラを再読していたら、間違いに気がついた!
 データを渡してあったのだが、どうやらプリントアウトしたものから再入力していたらしい。転記ミスである。
 急いでメールで修正依頼を送り、ケータイから電話してみたら、出なかったので留守電を入れておいた。
 間違ったまま雑誌になったら恥ずかしい。
 夕方ケータイに電話があり、まだ間に合うとの返事で安心した。
 秋高の先輩である佐々木常夫さんに送ったメールに、夜、返信があった。てきぱきと仕事を片付ける佐々木さんらしい内容だったが、意外な感じもした。
 修正原稿2本を、とりあえず編集者へ送った。まだ前途は多難。相当の努力が必要だ。
 
3月26日(月)「今頃ホワイトデー・・・の風さん」
 ときどき雨が降って助かるが、花粉の飛散はまだピークが続いている。
 今年は「あぶないな」と思ったら、さっさと薬を飲むようにしている。点眼薬とマスクは常用だ。
 それで、何とか花粉症でダウンすることは回避できている。
 今日は終日旧職場の日だったので、空いている時間に自分の用事を優先させようと思ったが、駄目だった。
 午前と午後にそれぞれ会議が2つもあったからだ。しかし、内容の濃い会議で、旧職場に完全復帰したくなった。
 自分の用事としては、今頃になってやっと、ホワイトデーのプレゼントを2つ渡すことができた。
 どうも公私ともに、仕事がのろい。
 帰りに買い物とミッシェルの給油をした。
 就寝は午前1時半。忙しい1日だった。
 
3月27日(火)「今日も会議会議でおしまい・・・の風さん」
 何となく花粉の飛散が少なそうだったので、花粉症の薬を飲まずに研修所へ出社した。
 今週こそたまっている仕事を片付けようと意気込んで1日がスタートしたが、予定外の会議が二つも入ってずっこけた。
 昨日の旧職場と同じ感じで、会議ばかりの1日になってしまった。
 仕方ないので、来月後半のビジネススクールで使うテキスト、参考書の入手方法を検討した。これくらいなら、短時間でできる。
 ところが、意外と手ごわいことが判明した。先ず、研修所の図書室に1冊もない。次に、もっとも都合のよい愛工大の図書館に1冊しかない。地元の図書館にはやはり1冊もなく、あちこちの図書館から借りるしかないことが判明した。
 大富豪なら購入するのだが、ド貧民なので先ずは借りて済ませられないか検討するのだ。
 おっと、この検討にもずいぶん時間がかかってしまった。
 今年最後かと思われる灯油を購入して帰宅した。
 ミッシェルのタイヤがいよいよ丸坊主になってきたので、来週あたり新品に交換しようと思う。グリップ力抜群のPOTENZA RE-11だ。
 結局、今日は花粉症の薬を飲まずに過ごすことができた。
 
3月28日(水)「当選して調子に乗る風さんの巻」
 今日も花粉の飛散が多くなさそうだったので、朝から薬を飲むのはやめた。
 午後から本社に出張するので、午前中にまた雑用処理。基本的に会社の仕事というのは、雑用の山崩しをする合間に本業をやっていく。すでにボケの領域に入っている私は、本業に取り掛かることがほとんどできないまま時間が経過していく。
 やはり、そうなった。
 午後の出張の話はくだらないのでやめて、帰宅してからのことを書こう。
 1年に1回くらい当たる抽選が当たって、景品が届いた。
 余ってしまった年賀状を使って、月に1回くらい応募ハガキを出す。昨今はネット応募も多いが、あえてこの手を使う。年賀状なら目立つのではないかという期待もある。
 今回は地元のケーブルテレビ主催のもので、5人くらいにしか当たらないが、当たった。
 景品の折り畳み傘は早速のワイフのクルマの常備傘にした。
 「今日、友達に余っている日傘を上げたの」
 ワイフも満足していた。
 多忙な中、調子に乗って、猫カレンダー用「猫の写真」応募書類を準備した(何やってんだ?)。
 今日もうまい具合に花粉症が悪化せずに1日が過ぎた。

3月29日(木)「文庫をもらって落ち込む風さんの巻」
 出勤前に花粉症の薬を飲んだ。今日の花粉飛散予報は「非常に多い」だったからだ。
 会社に着いてまたいつものように予定外の仕事が飛び込んできた。
 そのままどんどん時間が過ぎて、午後3時のおやつの時間……じゃなくって、ミッシェルで出張する時刻になってしまった。
 本社で元部下をひろって、某社へミッシェルで乗り込んだ。
 ここにも元部下がいるので、仕事はスムーズに進んだ。元部下全員に感謝。
 午後6時には部下と別れたので、図書館に寄って本を借りようと思ったが、既に閉館の時刻だった。
 帰宅したら、今日は景品ではなく、楠木さんの新刊が届いていた。『囮なめくじ長屋』(KKベストセラーズ)時代小説の文庫である。もらうたびに、自分の力のなさを痛感する。こういった文庫が出せれば、ビジネススクールの学費の心配も一気に解決するのだが、……できない。
 今年は大野先生と一緒にやらせていただく大学院の講義で、学生たちにExcelも教えることにした。ちょっとしたチャレンジだが、こういう機会でもないと、自分自身のスキルを向上させることができない。Excelマスター用のパソコンソフトを持っているので、今夜から少しずつやることにした。
 薬の効果だろう。花粉症は悪化することなく1日が過ぎた。

3月30日(金)「昼食がタダだが・・・の風さん」
 どうにも理解困難なのだが、規制が増える一方で会社生活が窮屈になっている中、今日は社員食堂が無料開放というか、会社のおごりでタダになった。ご苦労様、という意味なのだろうが、何か勘違いしている気がする。ちなみに研修所の昼食には茶碗蒸しやケーキがおまけについた。もちろん全部いただいた。
 今日もまた本社の会議に出かけた。会社の前途が暗くなるような会議だった。
 そのまま退社して、あちこちで用事を済ませながら、結局、いつもの時間帯に帰宅した。
 途中でやっとソーラー腕時計を修理に出せた。いちおう充電を試みてから、メーカーに修理に出すらしい。

3月31日(土)「今日も留守番・・・の風さん」
 また、作家に専念する週末になった。
 ワイフは長男の様子を見に京都へ、次女は展覧会を見学しに東京へ出かけた。
 しかし、朝から雨模様。私は2匹の猫と留守番だ。
 昼過ぎに雨が上がって、強風が吹き出した。
 さまざまのアイテムがあって、トータルで膨大な量になる仕事をこなすためには、本当は一つずつ片付けたいところだが、集中力に限界があるため、近ごろは、休憩をはさみながら、雑用を気分転換代わりにしながら粘り強く取り組む。
 本来雑用ではないが、雑用扱いしてやっているのが、読書である。
 戦線を拡大してしまったので、以前よりもたくさん読まなければいけないのに、昨年はむしろ読書量が減ってしまった。今年はちょっと頑張って、毎月5冊以上読もうとしている。今日16冊目を読了したので、今のところペースは堅持できている。
 夜遅く、ワイフも次女も無事に帰宅した。 

2012年4月はここ

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